駅のホームを離れて車外が暗くなると、地下鉄の窓は鏡になる。
普段は人込みのなかで意識もしないが、多くの企業で仕事納めとなり、
通勤客の少ないこの時期は窓の鏡としばしば対面する。

いくらかは気取って前に立つ洗面所の鏡とは違って、無防備な姿を狙われるせいか、
いつもこんなに不機嫌そうな顔で街を歩いていたのだ、と驚くことがある。
老けたなあと、吐息がもれることもある。

鏡はうぬぼれの醸造器であり、自慢の消毒器でもあると、
夏目漱石の小説で猫が語っていた。窓の鏡を見るたび、
自慢の芽が金輪際生じないよう完膚なきまでに滅菌消毒されたような気分になり、
年の瀬の地下鉄は妙にほろにがい。

日本に地下鉄が生まれたのもいまごろの季節である。
東京の浅草-上野間(2・2キロ)が開通したのは1927年(昭和2年)12月30日、
きょうで80年になる。初日は約10万人が競って乗車したという。

大都市のシンボルに初めて触れた人々の、心の弾みを数字が伝えている。
いまではもう、なくてはならぬ便利な足だが、心の弾みからは遠くなった。
蒸気機関車や路面電車に乗るのを楽しみに、都会から地方に出かける時代である。

こう見えて、おれも昔はちょっと騒がれたのよと、地下鉄はおのが姿を車窓に映し、
若き日の追憶に浸っているかも知れない。

(読売新聞 2007年12月30日朝刊 編集手帳より)